2005年4月30日 カントーを離れ、憧れのヴィクトリア・チャウドックへ。 |
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カントーのバスターミナルでハーさんに見送られて、チャウドックに向かうバスが出発しました。 このバス、出発時には想い出に浸れるくらいのちょうどいい空き具合だったのに、その後30分ほどのうちに乗車率120%となりました。 隣りはまだ1歳くらいの小さい子供連れの若いお母さん。ベトナムの子供はかわいいです、とても。 だけど、やっと言葉ともつかない声を発し始めたような子を2時間も相手するのは正直ツライ。。 結局チャウドックでバスを降りるまで遊び相手、というかおもちゃ代わり?にされて、ライさんがくれたお菓子を食べる暇もなかったのでした…。 そんなこんなでバスは終点のチャウドックに到着。 バスを降りるとやはりどこのバスターミナルでも同じ、セオム(=バイクタクシー)のお兄ちゃん方に囲まれます。 「どこ行くんだ?」「どこ行く?」「どこ?」「どこ?」 そういえば、ハーさんとボートの上でチャウドック行きのことを話していた時に、 「ホテルまでは10000ドンって必ず言ってくるはずだけど、3000ドンしか出しちゃダメよ」 としきりと言われていたのでした。 それを思い出して、とりあえず「ヴィクトリアホテルまで」と言ってみると、セオム兄ちゃんの返事はやっぱり「10000ドン」。 そこですかさず「3000ドン」と言い返してみます。すると、 「ここにこう書いてあるだろ」と、そばにあった看板の10000ドンを指差しています。 まわりのドライバーたちもわらわら集まってきて「そうだ、そうだ、見てみろよ」と加勢。その看板には確かに5000ドン、10000ドン、15000ドンとなに やら値段らしきものが書いてありますが、ベトナム語初級レベルのわたしには何が5000ドンで何が10000ドンなのかはぱっと見で読み取れません。 そして、定価のない国ゆえに、値段が表示されているようなシチュエーションに遭遇すると、なんとなくそうなの?っていう気になってきます。 変だなーと思いつつ、多勢に無勢で結局10000ドンに頭を縦に振らざるをえない状況に。納得いかないままホンダの後ろに乗り込みます。 ・・・が、やはり。。 ホテルが見えてきたとき、やられたーと気が付きました。だって10000ドンにしては走行距離が近すぎるんです。 そもそもあの看板が大ウソだったに違いありません。こっちがわからないと思って! まぁ、思うツボでわかんなかったこっちが悪いんだけどー。。悔しーーーッ! こうして、せっかくのハーさんの忠告も空しく、まんまとしてやられたのでした。 |
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ヴィクトリア・チャウドック。 4年前にこの建物を目にした時から、ここに泊まるのがずーっと憧れでした。 チャウドックに来たのはその時が初めてで、シンカフェのメコンデルタ2泊3日ツアーを利用して訪れていました。泊まるところは決まって安宿ばかり のカフェツアー中で、川沿いに建つコロニアル調の素敵な白亜の建物は余計にまぶしく見えたのかもしれません。 けれど、ひとり旅でヴィクトリアって・・・ねぇ。。 あまりに淋しすぎるので、いつもなら即却下なところです。 でも今回はマイレージで航空券を入手できていたので、気が大きくなっていたのでした。 豪華なホテルでひとり淋しいイメージを浮かべる間もなく、予約の電話をかけていました。 エントランスを入り、受付でチェックインを済ませると、ボーイさんがウェルカムドリンクを運んできてくれました。それはちょっと形容しがたい変わった 味の微炭酸ドリンクでしたが、暴走バスの旅からヴィクトリアの旅へと時間の流れをシフトするという役目を果たしてくれました。さすが豪華ホテルは サービスいいな〜と好印象だったのに、ドリンクを飲み終わっても誰もわたしの荷物を運んでくれる気配がありません。さっきまで傍らにいたボーイも どこへやら。バックパック持って汗とホコリにまみれたやつにはポーターなんて必要ないってこと??もし万が一そうだとしても、普通、高級ホテルの ロビーっていったら、ポーターのひとりやふたり、いても全然おかしくはありません。なのに、シ〜ンと静まりかえっているロビーにはわたしだけ。 ここが憧れだったヴィクトリアホテル・・・?なんか変・・・。 結局、バックパックをまた背中にしょって、ひとりお部屋へ向かいます。
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エレベーターでお部屋のある3階へ。 チャウドックのあたりに住む少数民族チャム族の布で作られた小さなきんちゃく袋に入っているお部屋のカギを取り出すと、そのカギには小船の形を した木製のキーホルダーが付いていました。こういうディテールからも雰囲気作りはばっちりです。 そしてドアを開けると― それまでの疲れが一気に吹き飛び、荷物を床に下ろすやいなや、すぐにバルコニーに駆け出していました。 ドアを開けた瞬間に目に飛び込んでくる窓の外の景色一面に、メコン川の流れが悠然と広がっているのです。 右を見ても左を見ても真正面にも、どの方向を見てもメコン川。 ヴィクトリア・チャウドックは、メコン川の流れが2つに分かれるちょうどその場所に建っているので、リバービューの客室からの眺めは何もかも忘れて しばし立ちつくすほどです。着いたのがちょうど夕方だったので、空がピンクがかったオレンジ色になり、その色が段々と霞んでいく様子はいつまでも 見飽きることがありません。高級ホテルにひとりで泊まるなんて自分にしてはかなり奮発したけれど、この選択をして本当に良かったとこの時につく づく思いました。時間も忘れてしばらくその景色に見とれていて、どのくらい経っていたでしょうか。 後ろで音がしたような気がしたのでふと振り向くと、隣のお部屋から人が出てきました。 目が合った相手が日本人に見えたので、無意識に「こんにちは」と挨拶しました。 すると、その男性は「あれー日本人ですか?こんなところで日本人に会うなんて!」といたく驚かれています。奥様と思しき方も出てこられ同じ反応。 お話を伺うと、お2人はわたしと逆ルートで、先程プノンペンからチャウドックへ来られたとのこと。そのヴィクトリアのボートは貸切状態、着いたホテル にも人がまばらなので、こんな辺鄙な片田舎に来るのは自分たちくらいかと思っていたところへ、同じ日本人のわたしが、しかも隣の部屋にいたから びっくりされたようです。これがきっかけで、ご夫婦からお誘いを受け、ホテルのレストランでの夕食にご一緒させてもらうことになりました。 息を呑むほど素晴らしい景色に、人との出会い。 想い出に残る旅の1ページがまた増えます。
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2005年5月1日 プノンペンへのボートツアーのチケットを手配した後で、サム山にひとりで登ってみました。 |
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せっかくの豪華ホテル滞在なので、午前中は家族に報告FAXを書いたりしてお部屋でのんびり。正午前にようやく動き始めました。 今日はボートツアーのチケットを取りに行かなくてはなりません。購入先の旅行会社はサム山の近くにありそうです。 そこで、サム山にも登ろうと決めました。サム山は多くの伝説が残るといわれる信仰の山で、山の麓や中腹には多くのお寺が点在しています。 高さは200mほどですが、登るとチャウドックの町が一望でき、遠くにはカンボジアの田園風景も眺められます。シンカフェツアーで来た時にも登って はいたけれど、あの時はガイドさんについていくだけだったので自分で登ってみたくなったのです。 旅行会社に行く前に、日本へFAXを送るために郵便局に立ち寄りました。 ベトナムの郵便局は苦手です。 なぜって、局員はたいがいニコリともせずに、決まってぞんざいな扱いをされることが多いから。 いくらこっちが丁寧に話してみても、効果があったためしがありません。そしてこの定説はまたしても繰り返されるのでした。 局員がFAX番号をプッシュすると、祖父が電話に出る声が聞えました。その後、FAX機の送信ボタンをプッシュ。しかし、紙は一向に動き出しません。 局員の女性は手のひらを上に向け、「これは送れないわ」と言い、続けて「FAX1回分と国際電話の料金で○○になります」と。 家庭用FAX機では電話と共用の場合が多いものです。わたしが送ろうとした祖父母の家もそのタイプなので、電話が切れてから送信ボタンを押す ように伝えて、もう一度トライするように言いました。気になる料金のことはとりあえずさておき・・・。 すると、その局員は上司を呼び、「送れないってのに、また送れって言うんですぅ」とでも言ったのか、精一杯の困った表情を作って訴えています。 この上司(こちらも女性)は「送り先のFAX機がオートマティックじゃないから送れないのです」と言ってきました。 けれど、ホーチミンでもハノイでも送ったことがあるのに、できないはずがありません。しつこく食いさがると、上司が「仕方がないわねぇ」という感じで 局員にもう一度送ってみるように指示をしました。しかし、なぜかその局員はわたしが説明した方法をまたもや無視して、通話中に送信ボタンを押し 「やっぱり送れないわよぉ」とぶーたれ顔で言ってきます。何度言ってもわかってくれないので、もういい加減腹が立ってきます。 そこへ、女性上司が言い放った言葉にまたもブチ切れました。今回の旅ではすでに2回目。。 「FAX2回分と国際電話2回分の料金を払ってください」 たしかに、某ガイドブックにも郵便局で国際電話をかける時の注意書きとして、”相手が電話に出なくても料金がかかる”とありました。 そうとは知りながらも、この女性上司のとてつもなく威圧的な態度と、局員の子供がぐずるようなぶーたれ顔に、どうしようもなくムカムカきていて 収まりがつきません。とうとう針が振り切れたわたしは、FAX用紙をもぎ取り、「送れなかったんだから払いません!」と鼻息を荒くして出口へ。 背後からは女性上司の「ちょっと、あんた!払いなさいよ!」という声。 ムカッ腹の一方で、実は小心者なので、追ってこられはしないかと内心ビクビクです。 肩を怒らせつつ郵便局を出て、そのまま足はゆるむことなく、遠く前方に見えるサム山の方角へとどんどん向かっていきました。 気がつくと、郵便局からサム山へと通ずるまっすぐの1本道を炎天下の中で歩いているのはわたしくらいのもの。 すぐ横をホンダがビュンビュン飛ばしていき、セオムの兄ちゃん達がいいカモを見つけたとばかりに何人も入れ替わり立ち代わり声をかけてきます。 しかーし。ご立腹中の女子に話しかけることなかれ。触らぬ神にたたりなしです。 「乗るか!一昨日きやがれ!」とは口にせずとも、そんな調子で一切お断り。八つ当たりされた彼らはさぞかし迷惑だったことでしょう。 そう考える余裕など微かにも持ち合わせていなかったわたしは、ただひたすらに歩き続けます。 そうして歩いているうちに、こんな炎天下の中をひたすら歩き続けている自分にだんだん笑えてきました。 こんな汗だくになるなら、素直にバイタク乗っときゃよかったよー、おバカ。 あんなことで、ジリジリ照り付ける太陽を30分以上も浴びて、1ヶ月の美白ケアをパーにするなんて、あ〜おバカ。 サム山まであと何キロあんのよ〜、もぉ。おバカ!! 腹が立った時、がむしゃらに歩いたり走ったりするのってホント効果絶大ですね。 こうしてわたしが郵便局からサム山近くの旅行会社まで歩いた距離はなんと7キロ(推定)。 おバカとしか言いようがないでしょ、これは。 |
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ボートツアーのチケットを無事に入手して、向かったのはサム山とその周辺の観光スポット。さてさて、チャウドックで見仏です。 サム山の周辺はこのあたりの人々にとっての信仰の場所になっていて、バスやバイクに乗って大勢の人が集まってきます。 まずは西安寺へ。 信心深い人が何人も仏像の前でお祈りをしています。お線香を頭上に掲げて三度拝礼(三拝)→お祈り→三拝→お線香のお供え→三拝の順。 香港映画でよく目にするようなそのお祈りの姿を眺めながらも、お寺に来ると感じるような落ち着いた気分にはどうしてもなりません。 それは、どうも目と耳から感じ取るベトナムの仏教寺院のせいみたいです。日本のお寺というと、建物の色はダーク系、仏像も同じくダーク系で、 派手な色はあっても金色、というように全体が暗めです。お寺の中はたいてい、話す時に声をひそませるほどに静まりかえっているもの。 しかし、ベトナムでは、どれもこれもその真逆なのです。 まずカラフル。それも原色+パステルカラー。仏像もペンキべた塗りで肌の部分は肌色に塗られています。言うなれば、デパートの屋上にあるような 子供の乗り物チックな作り。その背中の光背はいくつかの同心円が重ねられた電飾で、安っぽいネオンサインのように内側から外側に向かって 点いたり消えたりしています。耳に入ってくるのは、スピーカーから大音量で流されるお経。 お寺のどこにいても騒々しい感じで、心のざわつきが消えていくような落ち着ける場所はとても見つかりません。 これは、次に行ったバーチュアスー廟でも同じです。 こちらもネオン系。境内は西安寺よりも広く、さらに大勢の人々でごった返しています。仏像の前では、特に女性たちが額を地面に擦りつけるほど 熱心に祈りを捧げています。祀られている神様が女性だからでしょうか。 内部は写真撮影禁止なので、残念ながら派手な仏像は写真に撮ってこられませんでした。 そして、大トリはやはりサム山でしょう。 ここは230mほどの岩山で、頂上に至るまでのルートは石段になっています。その石段の両脇には土産物店やハンモックカフェがびっしり立ち並び、 通りがかる度に客寄せの声をかけられます。お店の切れ目に現れる寺院では、大トリと呼ぶに相応しい仏像?の数々を目にすることになります。 それは果てしないようにも感じられる石段のぼりの疲れを一瞬忘れさせるほど。 それらの仏像がどんなものかは、こちら↓の写真をとくとご覧ください。
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